第一章

芸術論とひとりごと

私にとって絵とは自分が何故ここに存在しているのかが解る可能性を秘めた手段です。

好き嫌い

どうでもよい事の一つ。
私は常に普遍を目指し、美を使い画面と対話しています。

 

美術館へ行くのなら

会期の半ば辺り、平日の開館直後か閉館間際。
空いている時に出かけて絵と対峙するのがコツです。

 

美術館へ行ったなら

入り口に入ったら全作品を0.1秒位ずつ、小走りにチラッチラッ、と見ながら出口前まで行きます。
じっくりと見るのは後からでもできます、第一印象は最初にしか見えないからです。
さて、100点を集めた展覧会だったとして、その中に気になる絵が何点かあるでしょう。
もう一度入り口まで(出来るだけ絵を見ないようにして)戻り、印象に残った絵だけを
今度は普通に歩きながら眺めて出口前まで向かいます。
そういう風に段々と点数を絞って行き3巡位してみて最後まで気になった作品を
それこそ穴の開くほどじっくりと観て見るのがよいでしょう。

そこで選抜された絵は好きな作品か良い作品のどちらかのはずです。

 

良い絵、好きな絵

絵には良い絵とそうでない絵があります。
良い絵にはすさまじい量の情報が美で構成されてそこにあります。
故に見飽きることがありません。
良くない絵は絵の具がキャンバスに付着しているだけです。

絵を観る目が肥えてくると良い絵と好きな絵が限りなく一致して行きます。

 

絵の具

顔料を何を接着剤として画面に付着させるかその接着剤の性質により、
油絵の具、水彩絵の具、アクリル絵の具、テンペラ絵の具等と呼ばれます。

 

抽象絵画

究極のリアルを絵の中に求める行為。
抽象絵画とは抽出絵画である。
究極のリアリティーを目指すために(止むを得ず)対象の要素の一点だけを
抽出せざるを得なくなってしまった絵画。
成功すれば異様な生々しさの在る絵になるが、
世の中の抽象絵画と言われているものに抽象できているものは極めて少ない。

 

サイン

責任の証。

 

絵を観る目を鍛えるには

絵を観る目を鍛えるには画像ではなく
本物の絵(良い絵)を観ることです。
絵の具の盛り上がりの具合や艶の感じその他、
美につながる色々な様子に目を触れさせることです。

 

画面上の2つの要素が響き合ったときのニュアンス。
2つのものが最も心地よく感じられる比率。
相対的な関係においてのみ発生する感覚である。

 

神の声

深く集中して絵を描いていると、神の声としか例え様のない妙なる調べが聞こえてきます。

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