美の固定
時間は不思議なもので、 正しく今 を捉え認識することは不可能です。
(一昨日話題にした般若心経の中にもそのことは書かれていました)
デカルトは「我思う故に我あり」と言っています。
確かなものを得るために不確かなものを徹底的に排除していった結果
今現在思考している自分がいる事は疑い得ないと言う結論ですが
これには少し訂正が必要です。
「我思っていた我が少し前に在った」が正しいでしょう。
他にも小林秀雄の「美しい花は有るが花の美しさは無い」これも間違っています。
「花の美しさは有るが美しい花は無い」が真理です。
我々はいつも今という時間を生きて存在する様でいてそれは不確かなもの。
確かと思っているものが不確かで、不確かと思われているものの方が
案外確かなのかもしれません。
一枚の絵の中には、上手くすれば不確かなものと考えられがちな
美そのものを確かなものとして捉え固定することが出来ます。
そこが稀有な魅力として絵画美術が存在し続ける理由の一つと言えるでしょう。