第七章

芸術論とひとりごと

東大寺戒壇院 四天王

戒壇院は東大寺南大門から大仏殿へ向かい大仏殿の左やや奥の方にあります。
南大門→大仏殿が観光客で賑わっていても大抵ひっそりとした中で
持国天、広目天、多門天、増長天の四像と対峙することが出来ます。

像は塑像、つまり粘土で出来ています。
間近で見ることが出来るので確かに土で出来ていることが実感できると思います。
今から1300年近く前、天平時代に粘土で作られた物が目の前に確かに在る
事を思うと不思議な感じがします。

 

東大寺法華堂

お水取りで有名な東大寺二月堂のとなりにあります。
(南大門→大仏殿とみると大仏殿の手前右手を少し上ったところです)

ここは天平彫刻の宝庫です。
十数体の天平彫刻がさながら堂内に生えた樹木の様に
乱立した感じが一寸特殊な空気感をかもし出しています。

平素は秘仏で見ることが出来ない執金剛神立像(12月16日のみ公開)が法華堂本尊、
不空羂索観音の裏の厨子の中に隠れています。

 

新薬師寺

十二神将像(塑像)があり、そのうち十一体が国宝です。
何故一体だけがそうでないかと云うと昭和になってから補造された像だからです。
さて、像だけを見てどれがその一体だか当てることが出来るでしょうか。

また、十二神将達に守られた本尊のお顔を見て僕は猫が微笑んだ顔を思い浮かべました。
やさしいお顔の薬師如来さまです。

お寺さんに行っても仏像を観るだけであまり手を合わせることをしない僕も
両手を合わせたのを思い出します。

 

興福寺 国宝館

ここには鎌倉時代、木造の金剛力士像が二体あります(阿形、吽形)
空間や重力密度がそこだけ異常に強まっている様な感覚を覚えます。

西暦2009年の今から見れば、天平時代も鎌倉時代も同じ昔の様な気もしますが
両時代には500年の隔たりがあるのです。
これを平成の今から換算すると室町時代に相当します。
日本の仏像彫刻のピークは二つありますがその一つは天平彫刻です。
鎌倉時代の仏師から見れば、500年も昔に凄いものが作られていて
さぞやプレッシャーを感じたのではないかと思います。
それを踏まえて違うテイストの素晴らしい像達が作られたのが鎌倉彫刻です。
興福寺金剛力士像はその代表的な作品の一つと言えます。

 

東大寺南大門 金剛力士像

仁王さんとして親しまれる南大門の阿形、吽形は高さ8メートルを超える巨像ですが
運慶快慶らにより、わずか2ヶ月余りで造られたといわれています。

ここへ行くならば季節は春、薄暮の頃がお勧めです。
日中は観光客や鹿や鳥などで賑やかな南大門も大仏殿の拝観時間が終わり、
みやげ物屋さんが閉まった後は人影もなくなります。
薄暗くなった南大門の真ん中に立ち阿形、吽形をそれぞれぢーっと見上げていると
昼間は見えなかった像の佇まいが、ふわーっと浮かび上がって来るのです。
(まるで全宇宙の中に像と自分だけしかいなくなった様な実感を得ることが出来ます。)
そしてその瞬間に像と自分との間でコンタクトする情報量は莫大なものです。

総じて彫刻や絵画などの芸術作品の値打ちは、
観る人々に与えられる内容を孕んでいるかどうかという所にあります。

そして作品の側から観る人へやってくる情報にも乗り物が必要です。
それが【美】なのです。
さまざまな情報は【美】に乗ってやって来ます。
故に芸術作品に【美】は必須です。
【美】は芸術作品であるための資格とも云えるのです。

 

安倍文殊院、文殊師利菩薩

文殊師利菩薩像は鎌倉時代快慶作、
獅子に乗った菩薩像は高さ7メートルを超える大きな像です。

この像では先ず視野全体に像を入れた状態のまま右手の剣と他のどこか、
例えば左手の蓮華を意識してみてください。
うまく意識してみることが出来たときにはあなたは、
美(もっとも心地よい響き合い)を感じているはずです。
今、剣と蓮華を例に挙げましたがこの像はほとんど全ての場所同士が
響きあうように造り上げられています。
快慶の最傑作でしょう、ゆっくりと鑑賞しましょう。

こちらでは拝観料の中に、お菓子とお抹茶一服が含まれます。

 

聖林寺 十一面観音像

安倍文殊院と同じ桜井から談山神社行きのバスに乗ると10分程で聖林寺です。
出来るだけ独りで仏像と対峙したい私としては、
バスの中で盛り上がるお客さん達が、聖林寺で降りはしまいかと
気を揉んでいたのですが、降りたのは僕独り。
バスは皆を乗せたまま談山神社への山道を登って行きました。

さて、ここでのお目当ては十一面観音像です。
天平時代、木心乾漆造りのこの像には
なんとも云えない色香があります。
像自体を取り巻いた衣の曲線を一通り目で追ったあとは降ろした右手の指先に
目が留まるのですがその感じが何とも言えず優しいのです。
その瞬間観音様に触れた気がします。

皆さんもお試しあれ。

 

広隆寺 弥勒菩薩

京都太秦、広隆寺には飛鳥時代 木造 弥勒菩薩が在ります。
(奈良法隆寺中宮寺にもこれとよく似た如意輪観音がありますが、
内容は全く異なりますので比較してみるのも面白いかもしれません)

私の友人の彫刻家に「全彫刻の中でどれが一番いいと思いますか」と
聞いたときに返ってきた答えがこの像でした。
確かに素晴らしい像ですが、
これを造った仏師はこの続きでどういう作品を作ることが出来たのでしょうか、
心配になりました。

この像は抽象の粋で出来上がっています、見事です。
ちなみに国宝指定第一号だそうです。

 

東大寺 法華堂 執金剛神立像

昨年末奈良へ行きました。
平素は秘仏で12月16日のみ開扉の執金剛神立像を観るためです。
前日に奈良に入り他のお寺の仏像をいろいろ拝観して
宿に入り早めに就寝して朝を待ちました。

朝八時から法華堂は開いていますが
(東大寺の開祖である良弁僧正の命日だけに特別開扉される)
執金剛神立像は僧侶の法要読経の後に開扉、拝観となります。
幸い昨年はその日が平日だったので幾分は空いていることを見込んで出かけてみたのです。
人影の少ないはずの冬の奈良公園を朝8時前に急ぎ歩く人の向かう先は明らかです。
自然に私の脚も早くなります。

法華堂には既に数名の人がありました。
皆法要が終わるまでの時間を堂内の他の仏像を見ながら過ごす様です。
私は他には目もくれず執金剛神立像への通路となる柵の前に一番に並びました。
すると堂内にいた他の人全てがあっという間に後ろに並んで後から来る人達も含めて
大行列が出来上がりました。

年末の奈良は底冷えがします。
1時間待った後十数名の僧侶が登場し読経が始まりそして終わりました。

全く一番乗りです。
厨子は高い位置に開かれていました。
等身大の像の足の位置は私の目よりもさらに少し上です。
北面からの障子を通したやわらかい光のみが像を包み
香炉からは伽羅が香っています。

確かに名品でした。
秘仏なだけに彩色などの保存状態も比較的良い状態です。

いろんな角度から1時間以上観てから一旦法華堂を離れました。
執金剛神立像の閉扉は午後4時ごろと聞いています。

3時半頃に再び戻り4時になると僧侶が一人現れ静かな読経のもと
私は扉が閉まる最後の瞬間まで像と目を合わせて過ごしました。

像は厨子との空間的関係がとても上手く行っています。
仏敵に対する闘いの神様と云う性質上、
彩色の剥落は却って迫力を増す為の手助けとなっています。
叩けば壊れ、濡れれば溶ける粘土の塊が千三百年の時間を味方にして
恐らくは創られた当初よりも良い作品に仕上がっている事に特別な感じがしました。

しかし一方で、期待していた程の感動はとうとう最後までやっては来ませんでした。

それが自分にとって良いことなのだと気がついたのは
薄暗く人影もまばらになった奈良公園を後に、
独り宿へと歩く帰り径でのことでした。

私にとって大和路は、いつか又、気が向いたとき
ふらっと訪れてみるに違いない地の一つなのです。

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