私の試み『芸術による全智の統合』その1

芸術論とひとりごと

 

私が絵画芸術に取り組み始めて30年が経ちました。

これまでを振り返ってみれば、私の人生は生まれて間もなく
自分の存在そのものを自問自答した記憶に始まり
幼少期にはたまたまNHKで放送されていた哲学者の一生を追ったドラマ番組で
ソクラテスその他哲学者に共感を覚えた記憶へと繋がって行きます。

その頃すでに知識を得ても私がわかりたい事の理解には少しも近づかず
堂々巡りするだけだと気が付いていた様に思います。

知識に拠らず考える、私の中に共通して流れていたのは「考える」ということでした。
そんな私が後に堂々巡りに終わらない「考える場」
となる絵画制作をテーマに選んだのは幸運でした。

今思えば18歳当時、画家になろうと志す人達が当たり前の様に持っている
「絵が好きで画家になりたい」
という思いを持たないまま絵をテーマとしたのはなかなかの無茶ぶりでしたが、
私の決意の仕方は「絵に真剣に取り組み、努力し続けたせいで
自分の人生を完全に駄目にしてしまっても構わない」
と言う強固なものでした。

絵画ファンの感覚を持たないことは、好き嫌いのフィルターを通して
テーマを測ることが無い点では良いことなのですが
その反面制作が上手く行かないときは大変心細い思いをします。

高校を卒業し真剣に絵に取り組み始めた私はいつも
目の前の現実(画面)に打ちのめされる日々を送っていました。
それでも一生懸命に描き毎日画面に打ちのめされるのは健康的な敗北でしたし
制作の中で実感できる脳の特別な動作が新鮮だったのを覚えています。

そしてその脳の特別な動作は、次第に発見や理解を連れて来てくれる様になります。
何よりも不思議だったのはそれら発見や理解がまるで思い出す様に
自分の内側から発生することでした。

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