【第8話】わたし探し

言葉のスケッチ

制作中は驚異の処理速度で働く私の脳は
何もしない何も考えない解き放たれた時間の中で記憶に遊ぶことを好む。
小さい頃は、かくれんぼで潜んだの草むらの中に、
釣り糸を垂れ見つめた浮きの揺らぎと共に、
中学高校では授業中黒板ではなく窓の外の景色にそういう時間への入り口があった様に思う。
そう云うわけで今日も地塗りの乾燥の合間にボーッとしていたら昔のことを思い出した。

確か大学の2年生の時だったと思う。
学生の頃私が住んでいたのは東京都大田区大森の小さな洋館だった。
たまたま大学の教務課で見つけた物件資料をもとに住む事になったそこに
学部入学から大学院修了までの6年間を過ごした。
関東大震災の直後に大きな地震が来ても大丈夫な様にと建てられたそれは2階建てで
一階は音楽学部を卒業した年上の女性が住んでいた。
私の空間は主に2階で10畳と4畳半、それに一階のお風呂などがあった。
たまたま見つけたとは云え当時、学生にしては贅沢な広さだったろう。
生活用品などは大して無かったがそこは画学生のこと、
イーゼルに据え付けてちっとも筆の進まない30号の自画像が十畳間の真ん中に鎮座していた。

或る日、いつも見慣れた自画像の何が気に入らなかったのか、
朱色をパレットに搾り出して全面を筆で塗りつぶしてぷいと出かけた。

数時間後その絵を彼女(今の細君)と弟が見ることになるのである。

時間差で居合わせて真っ赤に塗りつぶされた画面を目にした二人が
「まさか、、、」の胸騒ぎで一致したのも無理はなかろう。
そこから先、大森じゅうの僕が立ち寄りそうな場所の大捜索が繰り広げられることとなった。

一方下宿を出た僕は、ぷいっと出たはいいが何をどうするあてもなかった。
それでも何処といわず虫の居所の良くないのに、いつも行く様な場所で時間を過ごしたくは無かったのである
これが捜索の難易度を上げた。

ひまな僕が行く場所は喫茶店かパチンコ屋、2,3の本屋に駅ビルあたりが相場なのだが
今日は裏通りの商店街、2,3度行った事はあるが毎回負けるので行かないことにしていたパチンコ屋に入った。

果たして、これが出た。
昔のパチンコ台だから少しづつではあるがずーっと出っ放しで玉が減る事が無い。
空いた店内で僕の足元だけに箱が積み上げられて行く。
夕方になり約束などすることもなくいつも会う彼女との時間も大分過ぎている。
出玉は止まらない、故に僕は帰れない、全くお気楽なものである。

結構な時間になっていたかもしれない。
気配を感じて振り向いた時、何ともいえない顔をした二人が通路の向こうに立っていた。

その晩は3人で近くの焼き鳥屋さんの2階で大いに食べて飲んでしゃべった。
何を話したのかはまるで覚えていないが心の底からたのしい時間だったことだけが
二人の笑顔と共に思い出される。

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