吾輩は猫である、の様に

言葉のスケッチ

「それから以後どうだね」
「いいや相変わらずだよ」
「相変わらずが一番だよ」
いつか観た映画の出だし、確か夏目漱石の それから だったと思います。

私はアトリエで相変わらずの日々を送っています。
日々進歩しているつもりならば、どの様にか毎日変化しているはずですが
それが目に見えてグッと動くことは稀です。
変化を求めつつも中庸や平和を愛するのが人間さんと云うやつで
毎日天を地にひっくり返す様では我が人生の脈略も辿りにくい。
窓外に目をやれば光の色や空気は、揺らぎながらも滑らかに春に向かっているのが感じられます。

何時になく文学的な書き出しの今日は、私の愛読書についてです。

生まれたばかりの時には、目にするものも、耳にする音も
何もかも新鮮で毎日新しい物、事、との出会いに満ちていたのに、
いつの間にやら慣れる、と言う記憶的作用の一種によって
それら新鮮な感動はどこかへ追いやられてしまいます。
大人になってからも、食べた事のないものを食べ、行ったことのないところへ行き、
見た事のないものを見ようとするのは、幼いころに体験した新鮮な驚きを取り戻そうと回春する
自己若返り作用なのだと思います。

さて愛読書でした、昨日も読んだのにまた新しい内容が読み取れる、もう何十回読んだろう、
そんな本が私には1冊だけあります。
「吾輩は猫である」です。

決して読書家ではない私が、どんなきっかけで何時手に取ってみたのか
今はもう思い出すことも出来ないけれど、
名も無い猫の視点を借りて漱石が語る世界観はそのまま私の人生観に同調するものです。
本自体は何も変わらないのに、毎回新しく読めるのは不思議な作用で、
一種の本格的出会いに起因するものだと思います。
またそれが出来るのは名作本だからなのでしょう。

読書百回意自ずから生ず、難解な本も百回読み返せば意味を会得出来る。
吾輩は猫である、は難しい本ではないけれど、内容は奥深く、
遠く漱石の達観まで見通すことが出来る本です。

私の人生への態度は、広くよりは深く、数よりは質を求める生き方なので
それが本への接し方にも自然と伝播しているように思われます。

一方視線を絵に向けてみれば、私が描いた一枚の絵と
本格的に出会われる方々がいらっしゃいます。
そういった方々の元へ旅立つ作品、額縁の裏にこう記すことにしています。

「この作品が目にするたびに新しく、
  いつまでも変わらない価値を持ち続けるよう願っています。 金子豊文 」

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