【第28話】絵の様な夢

言葉のスケッチ

現実世界以上のリアリティーと視覚情報に満ちた私の見る夢は
その中で見えるものから離れたり近づいたりしても情報が減らない様に作られている。
別の言い方をすると視野中の単位画角あたりの情報量が、
ほぼ一定に保たれた夢を見るのだ。(これは現実世界では有り得ない)

現実世界での視覚情報は対象との距離(倍率)によって見える情報の種類が異なる。
例えば、10m向こうに人が居るとする。
そのとき見える髪に注目すると頭部をどの様にか占める黒い面積のはずだ。
5mまで近づくと光の反射が天使の輪となって頭部が立体的に見えるかもしれない。
50cmまで近づくと髪は一本一本に分離して見えてくる。
ここから先、次の視覚情報の変化が訪れるのは顕微鏡で拡大し
髪の毛のキューティクルが見える時だろう。
その先も拡大を続けていけば順次見えるものは変わって行く。

拡大=近づく事、縮小=離れること これは万象にあてはまる究極的な真実である。

通常人間さんの視野の中にはいろいろな物が混在している。
しかも各物体が視覚情報を見せ易い距離はバラバラである。
真っ白なキャンヴァスは離れて見て真っ白なだけでも近づけば画布の織り目が見える。
鏡に向かっているご婦人方は鏡との距離を近づけて行けば、
やがて有り難く無い世界を目にする事になるだろう。

ここまでは客観的事実である。
そこに加え各人がその時に持っている興味の分布と記憶が反映される事で、
その時その人に見える世界が決まる。
他人から見れば全く気にもならないシャツのシミが本人にはひどく大きなものに見えたり
何気ない街中の景色の一点に、もはやそこだけしか見えなくなってしまう対象を見つけることもあろう。

同じ景色を目にしていても各人に見えている世界は異なる。
同じ絵を目にしていても見えている絵は違う。

良い絵は様々な視覚情報となる部品をその画家独自の調整法でバランスさせて『美』に仕立ててある。
『美』の比率は決まっているのにその在り方が様々なのはその比率を作るバランスの取り方が無限だからである。

私の夢は、全視野中に視覚情報が抜け落ちてバランスを欠いた場所が無い様に、
各部分の情報量を調整し『まるで絵の様に』創られた世界を私に見せてくれるのだ。
こう書くと何だか寝ている間に疲れてしまいそうな気がするが毎晩平気でこれをやっているらしい。

疲れるといえば夢の中でも絵を描いていることがある。
夢の中で一仕事終えて迎えた朝→アトリエに上る→少しも進んでいない画面と対峙する

一日のスタートとしてこれは疲れる。

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