【第11話】ふらりと都内へ・前編

言葉のスケッチ

前編(昼の部)

夏の間毎日つづいた地塗り作業ですっかり日焼けした私は
気紛れに都内へ出かけてみることにした。
たまたまその日の朝にメールをくれた友人に今日は気分転換に出かけてみる旨を
返信したら多忙な中に彼は晩御飯を誘ってくれた。
1も2もなくOKしてアトリエを出たわたしはお昼前の電車に飛び乗った。

今年の初夏にひどく痛めてしまった足首をまだ幾分気遣いながらのお出かけなので
それ程歩き回るつもりはなない。
彼との待ち合わせの時間までお茶の水、湯島聖堂前の馴染みのビリヤード屋さんで
のんびり過ごすつもりだ。
そのお店はもう20年以上前、未だ学生だった頃から通いつづける
私の都会での大切な止まり木の一つである。

東京駅から中央線に乗り換えて2駅、御茶ノ水駅で降りると学生の街である。
スクランブル交差点、聖橋、橋を渡って神田川の向こうに見える
電車のオレンジ色とレモン色は今も懐かしい歌の歌詞そのままだ。
川沿いに秋葉原の電気街が見えるところまで下っていつものドアを開ける。
階段を一段づつ上がりながら、耳、鼻、目に懐かしいいつもの空間に逢いに行く。

わずかばかり秋を感じさせる川面の光がお店の天井に揺らいで僕を迎えてくれた。
「あ、いらっしゃい、、」5年ほど前から店番に居てくれる彼女は聞き上手である。
私は2か月分の出来事を1時間に詰め込むようにしてしゃべり続ける。
ひととおり話終わったら「じゃ、少し、、、」と言ってビリヤードの相撞きをお願いする。

ビリヤード場の下の階は工場になっている。
世界の名匠である親方が今日も玉台の調整に腕を振るう。
大抵は外に出てテーブルの設置、ラシャ(ビリヤードクロス)の張替え等に忙しいSさんW君、I君も皆一流の職人さん達である。
日本のビリヤードの老舗であるここの皆さんは社長さんも含め
気の良い方ばかりなのも嬉しい。
私がビリヤードにはまったのはキューに興味を持ったのが先で
プレーの腕前は今もお粗末な限りだが私の愛用しているキューはI君の作品である。
彼のキューは世界チャンピオンもオーダーして使用する名品として名高いものだ。

のんびりと過ごした午後も日が傾いて待ち合わせの時間が近づき店を後にする。
そして秋葉原から電車に乗るつもりで賑わいを増した街中へと吸い込まれて行く。
電気の街はネオンが早くまだ明るさの残る日の光と競い合っているかの様に見える。
音、光、人々が押し寄せる都会の真ん中で
わたしは何時か感じたことのある雑踏の中の孤独を思い出し駅への歩を早めた。

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