昔話 18才の春 その3

1984年4月後半

コンクールの結果3つのクラスに振り分けられた学生達は
それぞれのカリキュラムつまりモチーフを描き、
たまにやってくる先生にアドバイスを受け、
描き終わったらみんなの作品を並べて講評会を受けると言う日々に少しずつ慣れて行った。

簡単に言うと一日中絵を描く生活を送ることになり
場所とモチーフは学校が用意してくれて先生方は遠くから見守って下さる訳だ。
普通の予備校での勉強の仕方とは違うテーマへのアプローチの仕方で、
超簡単に言えば、「自力で何とかしなさい」ということでもある。

昼間部のアトリエ使用時間は午前9時~午後4時まで、
積極的な学生のために朝6時から9時までは早朝アトリエとして開放されていた。
その他にも17時から夜間部の学生さん(主に高校生)が使わないアトリエを
早朝アトリエと同じ様に20時まで使う事が出来た。

ごく普通に取り組めば、午前中3時間、午後3時間の合計6時間、
フルに活用すれば朝晩の+6時間で12時間が一日のルーティンになる。

モチーフと画面を真剣に観て集中し続ける一日は長い。
頭も疲れるし腕や手指も痛くなる。

制作の内容は敗北の連続だったが、制作とは関係無いところで参ったのが木の椅子だった。
分厚い板数枚を釘で打ち付けただけのこの椅子の座面は真平らで
座る人への配慮など一切無し、一応腰かける事も出来る木の箱のイメージだ。
イーゼルを前に一日中座って過ごすこの椅子が曲者で直ぐにお尻が悲鳴を上げた。
デッサンの中身とは何も関係ないところに居た伏兵にやられ
銭湯で鏡に写した尻はいつも赤くお猿の様だった。
鼻の穴の中は真っ黒で、うがいをすると木炭の粉で吐き出す痰は黒かった。

椅子で尻が痛ければ座布団を用意すればいい
木炭を吸い込んでしまうのならマスクをすればいい
あの時そうしなかったのは皆がそうしていなかったからなのか、
考えが浮かばなかったからなのか。

否、やってみればどちらも制作の邪魔になる、ならば慣れろ。そう考えたのだと思う。

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