昔話 18才の春 その2
1984年4月10日頃
四月の半ばに初日を迎えた美術予備校は分類上は専門学校に当たる様で
数年いれば卒業証書をもらえるとか貰えないとか。
無論何年もいる=年数分浪人なのでそこは手短に通り抜けたい。
そんな按配で入学するときから中退が目標で通い始める事になったのが
豊島区池袋にあるS美術学院と言う美術予備校だった。
初日の朝、誰よりも早く辿り着いた校舎は未だ静まり返っていた。
校舎と言っても周りは住宅街でいくつかの商店などと共に、
ちょっとした大きさの校舎が○号館と言う風に点在している。
それらをぐるりと一回りして我が1号館前に戻ると
後からやって来た学生さんに「おはようございます」と声を掛けられ、
あいさつを交わし、当たりさわりの無い話をしているうちに同級生?が集まり始めた。
格好は総じて皆キタナイ。
絵の具だらけのシャツにズボンの出で立ちの彼は駅の方角から歩いてきたのだから
そのまま電車に乗ってきたのだろう。
見上げた勇気だ。
タバコをぷかーっとふかす彼や見た事も無い髪形の迫力のあるお姉さん。
身の回りは同世代の博覧会場の様だった。
そんな一癖も二癖もありそうな人達の中に私はいた。
昭和59年S美術学院 油絵科昼間部 入学生は百二十名程だったと思う。
その後簡単なガイダンス等あったと思うが、細かな事は思い出せない。
翌日からはクラス分けのコンクールが始まる。
デッサン3日間、油絵3日間で描いた絵を見て、先生方がクラス分けを行うと言う。
初日にして何人かと友達になった私は、朝一番に敬語で挨拶をくれた彼が、
4浪目の先輩だと言う事を聞かされて微妙な心持ちがした。
そして、とにかく「必死に描く」それしか出来ない私は、
翌日からのデッサンを前に「いよいよ始まる」と鼻息が荒かった。