第六章

芸術論とひとりごと

感動

最も確かで尊いもののひとつ。
自分の存在を最も激しく感じる瞬間でもあります。

 

制作の喜び

感動と発見が与えてくれます。

 

猫の絵を見た猫

ある日、猫を描いていました。
モデルになった本人がやって来て膝の上に乗りたがるので乗せてやると
目の高さになった画面に目を止めました。

ぢーっと見つめています。

それからそーっと顔を近づけたかと思うと絵の中の猫の毛をそっと手で触ってみたのです。
きっと絵に描いた花に蝶がとまったらこんな気持ちがするのでしょう。

 

十夜不眠

笑う様に、眠る様に、怒る様に、泣く様に、喜ぶ様に、息をする様に、
いつも気が付くと描いていた、という私になりたいと思っています。
十夜不眠は自分で考えた名前の当て字です。

 

視覚情報と意味単位

人の眼は物体をその人の意味単位で区切って見ています。
別の言い方をすると、対象に対する倍率や距離のとり方が
見えるものを変えているのです。

何も無い様に見える白い壁でもどんどん拡大して行くと
そのうち壁紙の繊維や塗料の微粒子が見えるようになります。
髪の毛一本でも電子顕微鏡の世界では驚きの視覚情報に満ちています。

ここで肝要なのは、電子顕微鏡下での情報をそのまま描いたのでは
髪の毛には見えなくなると言う事です。
髪の毛と言う一般情報が欠如してしまうのです。

髪の毛であることを認識させつつ、
いわば『驚き』の髪の毛に見える様に描くことが大切なのです。

驚きは見慣れた日常を、特別な世界に変えることに似ています。
良い絵との出会いは絵によってもたらされる
【新しい発見】でもあるのです。

制作に集中するには

最も簡単に集中しきった状態になるには、見えうる限界の細部を観て描けばそうなります。
疲れますがとても簡単なことです。

 

制作中のわたし

呼吸の周期は長く、単位時間当たりの回数は著しく少なくなります。
目と手は無意識に働き、脳は普段の生活とは桁違いの速度で動いています。
思考のなかでいろんな場所を訪れたり、時間が進んだり遡ったりします。

そういった状況の中で、突然発見や理解が訪れるのです。

 

目の訓練

絵を描いていないときにでも目の訓練をすることが出来ます。
以下全て頭の中だけで出来る訓練です。

街中の雑踏をパッと見て目を閉じ人の数を頭のなかで数えてみる。
人々の視線の方向だけを取り出して意識してみる。
同じ系統の色だけ、或いは同じ明度の分布だけを取り出して意識してみる。
冬の樹を見たらある枝に着目し、その枝と最も美しく響きあうベクトルを持った枝を探し出してみる。
人その他有機的な動きをする対象(生物)の動きを一瞬ずつ頭の中でコマ送りにしてみる。

その他キリが無い程色々なことが出来ます。

現実中からある部分だけを抽出してみたり、そこに変化を与えてみたり、
頭の中で出来るだけハッキリと感じる事が出来る様に実践することです。

因みに私には洋服を着た女性を頭のなかで
かなりハッキリと裸にして見る事が出来ます
これ訓練の賜物也。
 

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