私の目のこと

知人に「しごとが細かいから老眼が来るのも早いよー」
とおどかされながらも絵の中の線の集積度は上がり続けてきた。
50才になるまでは裸眼で、と思いやって来たのに
今もメガネのお世話にならずに済んでいるのは全くもってありがたい。

訓練して来た私の目は日常にも特別の働きをしてくれる。
例えば、服を着ている女性を見てもその裸体が見える(分る)し、
或る時はテレビに写された駅ホーム売店の商品の並びを見て
「秋葉原の1番線のキオスク」と言ったら
次のシーンでカメラはその通りに電気街を写した。

最初は驚いていた細も、テレビに向かって私が
「あ、○○の○○だ」と言っても
「あっ、そう」とそっけないので
最近この方面には張り合いがない。

人ごみの中の待ち合わせでも目ざとく友人を見つけるのは自分の方だし
わたしは日々意識はしないけれど有形無形の恩恵を受けながら生活している。

アイドリング状態でも色々な特殊機能を発揮してくれる
私の目がフルパワーで働くのは制作中、
最も細かい作業をしながら画面全体を観ている眼は
画面と私との間の空気さえ取り除いて
画面そのものを見せてくれている気がする。

そんな目は私の命よりも大切なものです。

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