【第25話】垂れ流し

言葉のスケッチ

アトリエにマリナーのレクイエム(モーツアルト)が流れている。

「レクイエム、鎮魂歌か、、。」ふとそう思い筆を休めた。
私は幸いこれまであまり葬儀に参列しないで済んで来た。
形あるものは必ず壊れ、生まれて来た以上必ずいつかは死ななければならない。
全く難儀な構造である。

生きている間にも様々な出来事に引っ掻き回されながら自分の人生を過ごして行かねばならぬ。
その時間の物語が仮に運命で予定されていると考えてみると何だか日々の一生懸命さえ空しく思えてくる。
「どうせ予定されているんだったら何もしなくても同じではないか、」
ところがこれを実行に移した瞬間に
「何もしない人生が予定されていたことになってしまう」
これは恐ろしい避けなければならん。

数年前あるお葬式に参列した時のこと、葬儀の合間ぽつんと一人になっていた僧侶に
「人間は煩悩の生き物ですが、修行、精進によって煩悩を捨て去ることを目指す
この事ほど大きな煩悩は無いのではないですか」と問うてみた。

乱暴と言うより凶暴に近い問い掛けである。

静かに正座していた僧侶は「煩悩は垂れ流すと教わりました」と答えた。
言葉の警策できれいに私を叩いてくれたその僧侶は
「精進」とは楽しみながら取り組むことを言うのだと付け加えてくれた。

日々の制作、日常の出来事、私は精進しているだろうか。
またもう一方の「煩悩は垂れ流す」これも簡単そうでなかなか手強い。

とにかくジタバタしながら人生最後の瞬間まで神様の必要無い時間を過ごしたい。
とここまで考えて意識を画面に戻すことにした。

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