金子豊文の公式サイト|美感のルネサンス

世界唯一の白亜地刻描の画家

【第18話】貝的生活から海へ

Toyofumi Kaneko | 2010 - 12 - 03

穏やかな小春日和に誘われて海までのランニングを再開した。
太平洋まで片道3キロの道のりは一年ぶりの脚にはなかなか遠い。
途中いつも顔見知りの他人程度に見送ってくれる犬も、「お、久しぶり」の意味を
一瞬目に表したがお後は相変わらずの態度で暇そうである。

刈り取りを済ませた田に放って置かれた稲がもう一度出穂し
収穫できそうな穂を低く垂れている。
そう言えば私が子供の頃に日本中をあっという間に占領した「セイタカアワダチ草」も
確かに最初は背が高かったのに最近は「セイヒクアワダチ草」(背低アワダチ草)である。
もっともこちらは、他の植物の成長を阻害する物質を出して人一倍高く成長するが
その後、自分までその物質にやられて小さくなってしまうそうなので自業自得と言えよう。
そこがそのまま人間さんの種の在り方に置き換えられそうな気がして
「今はどのあたりだろう」と見当をつけてみたりもする。

昔はもっと速く走れたなー、と思ったのをきっかけに今度は自分の寿命に考えが飛んだ。
前例が無いだけだから千年でも一万年でも生きていて良いのだが体の様子を鑑みて
「あとどれぐらい大丈夫だろう」ととりあえずの手堅い線を探りにかかる。
子供の頃は成長と言っていた時間の経過が、いつの間にか衰え、老化へと移ろって行くのは全く不思議である。
果たしていつまでが成長でどこからが衰えなのか
そこのところを割って考えて行くとまたもや無限の入り口が顔を覗かせる。
「もっとも私は常に成長しているつもりなので云々、、、」と都合の良い言い訳をキリにして空の青さに意識を戻す。

っとまあ毎回いろんなことが頭に浮かぶランニングとなる。
海まで行って帰れば大抵気持ちが良いし閃きも訪れる、考えは明るい方へとまとまり
「身体に良い」のおまけまで付いて来る。
私の様にアトリエで貝的生活の肉体的自閉症に掛かり易いものには全く
有り難い限りである。

そうしてゼーゼー、ハァーハー、ボテボテ走ってようやく辿り着いた海は今日も
穏やかな陽に照らされながら、一年間何事も無かったかの様に波を岸へと運んでいた。

→【金子豊文・美感のルネサンス 】トップページへ戻る

RSS