【第4話】美術解剖学実習

言葉のスケッチ

今日は少し以前、と言ってももうかなり前のことになってしまうが
大学生の頃のことを思い出してみたい。
高校を卒業後上京し2年間浪人し東京芸大の油画科に
入学したのが25年前のことである
定員60人に対して2000人以上の受験生が押し寄せた大学キャンパスは
入学してみればゆったりとしたものである。
上野公園の中にあって隣は博物館と美術館
動物園からはパオーだのキッキッだの色んな鳴き声が聞こえてくる。

この学校は当時色んな日本一を持っていた。
受験の倍率が日本一高いに始まり学生一人当たりのアルコールの消費量が
日本一多いだの(ある先輩の話だと)卒業するのが日本一簡単な大学と言うのもあった
6年間通った感想としてはどれもみな正しかった様に思える。

入るのは大変であとは適当にほーっておかれて年限が来たら追い出される
自由放任主義のいい加減なところである。
こう書くと悪く言っている様に聞こえるかもしれないがそんなことは無い。
芸大に入ってくる学生さん達は受験勉強をして入ってくるのではなく
美術や音楽といった生涯のテーマの通過地点の一つとしてその時学生なのである。
自分の才能を見極めてその後どうするかを考える時間の猶予を4年間もらう訳だ。

さて、そんな入学したて若葉眩しい4月の末のことである。
一般教養の一つに美術解剖学というのがあった。
講義室を暗くしていきなり「このご遺体は、、」とスライドから授業を始める先生は
色んなエピソードを持った名物教授の一人である。
その日の講義は「来週の土曜日1時から解剖学研究室で
骨学実習をやりますので参加、」云々で終わったらしい。

さて、その日になってみて何の予定も無い僕は学生食堂の前でぼーっとしていると
日本画科の女の子に声を掛けられた。
15分後スケッチブックと鉛筆を持った僕は解剖学教室の中に居た。
「その机の上にある骨をどれか選んでスケッチして出来あがったらここに提出しなさい」
そういい残していなくなった助手はその日それっきりだった。

次の講義の日、教室は又暗いところから始まった。

カシャッとスクリーンに映し出されたスライドは紛れも無く
先週の土曜日に僕が描いた第6肋骨である。
「えー、無断で資料に使わせてもらいましたがー、、
これぐらい骨の事を理解していらっしゃれば
骨学の授業に出席することもないのですが、」
教授がそう言うのでその後の美術解剖学の授業には出なかったら
単位をもらえなかった。

大学を卒業する時にもらう成績表、私のそれには
秀、優、良、可、不可、失格 の全てをコレクションしてある、これは少々自慢でもある。

学生時代のことはたまに想い出すと楽しいものだ。
また近いうちに書いてみよう。


見つけました。

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