【第14話】帰郷前

言葉のスケッチ

来週の半ばから10日間ばかり帰郷する。
地塗り作業を続けていた8月の或る日「よし、帰ろう」と思ったのがきっかけだ。
思い立ったら大安吉日、その日のうちにカレンダーをにらんで日程を決め
飛行機のチケット予約を済ませるまでに半日とは掛からなかった。

私の郷里は九州の西、東シナ海に夕日を臨む大小数百の島々からなる天草である。
九州本土とは橋で繋がっているものの文化の違いがその風土と人々のどこかしらに
感じられるのは歴史的な背景もあっての事だろう。

私が生まれたのはその中で一番大きな島で大げさに言えば
日本人が日本列島に住んでいて島に暮らす意識が無い様に人々に島の意識は薄い。
とは言え周囲を海に囲まれた環境は穏やかな内海の緑色から
雄々しい東シナ海の藍色まで、時間帯や天気に応じて実に多彩な表情を見せる。

月日が経つのは早いもので前回の帰郷から3年半が経ってしまった。
両親や兄弟の声が聞きたければ電話がある、変わったところが無いかと問えば実際に
目にしなくとも大抵のことはわかった気がしてしまう。
そんな中で、今回10日間の日程を取ったのには少々訳がある。
生まれてから高校を卒業するまでの18年間を過ごした天草のどこかには
私の原風景があるはずだ。
記憶の奥に隠されたそれらを郷里の隅々まで観て回ることで
掘り起こしてみたくなったのだ。
日々集積される視覚情報の中で特別なセルとなって時折り思い出される
一枚一枚の画像は何故そうして思い出されるのか。
かつてそれらを見た風景は数十年を経て全く変わってしまっているかもしれない。

それでも、変わらない様に見えるものの中に変化を見つけたり、
変わってしまった様に見えるものの中に変わらないものを見出すという
事物への接し方は私の制作の日々と一致している。

ここ10年間で2回しか郷里の空気を吸ってはいないわたしは
「ああっ、これだ!」そう思える原画を何枚目にすることが出来るだろう。

久し振りの帰郷を前に、期待と不安が背中合わせに寄り添っている。

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