さて、今日は今日とて何か捻り出そうと思って
キーボードに向かってみるもさっぱり気配が無い。
大体一日アトリエにこもってインプットの無い毎日から
24時間ごとに何か掘り起こそうと決めたのが間違いだった、
などと思いながらウンウン唸っていると電話が鳴った。
九州天草の母からだった。
昨日送った手紙が届いたのを知らせる電話の声はいつも変わらず明るく力強い。
手紙を送る様にしたのは昨年末からのこと、
80歳を迎えた母は一寸したことから背骨を痛めてしまった。
高齢の女性に多く見られる骨粗しょう症が招いた骨折で
当初1か月間は寝たきりで動けない難儀をしてしまったのである。
元来活発すぎるタイプの母は見た目も若々しくピシッと伸びた姿勢から
肝っ玉の大きい朗らかな声が聞こえてくるのに
この時ばかりは受話器の向こうで声に力が無かった。
さて、実家には弟たちがいるので身の回りの世話に不安は無いけれど、
自分にも何か出来ることは無いか。
1000キロ離れてベッドから起き上がれない母は、恐らくは窓の外、
雲の形ばかり眺めているに違いない。
「そうだ、手紙を書こう」
横になったままで楽しみにしてもらえる様、
外からは見えない我が息子豊文の人生の中身を認める事にした。
そういう訳で始めた母への手紙は今回で15通目。
春先の帰郷で日常生活を取り戻した姿をみたところから
ペースは大分落ちてしまったけれど今も送り続けています。
私の人生の中で記憶に上る人生の教えの一つ、
それは小学校5年生の時、担任だったO先生が仰った言葉
「何事によらず、継続する事が大切でありまた同時に難しい」
それから40年、昨日は肉体的自閉症として又今日は牡蠣的に
毎日アトリエに籠って人生のテーマと決めた絵を描き続ける私であるからには
手紙だろうが、ホームページの記事じゃろうが続けられんはずのなかばい。